「Q&A」真宗の寺院で願い事をしたらダメなのか?

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答え

 我われは日々いろいろなことを願っていますが、その願いは凡そ「家内安全」「無病息災」「商売繁盛」の三つに分類されるようです。つまり自分や家族が安全で怪我や病気なく健康であり経済的に不自由なく暮らしたいという願いです。これらの願いは我われにとって如何にも重要で当然な願いのようで、これが叶えるために生きていると言っても過言ではないでしょうか。でも我われの願いはこれだけなのでしょうか。この願いが自分で成就できれば本当に安心なのでしょうか。自分自身の心底に問いかけられる疑問もあることも事実でしょう。

「死ぬ前に後悔しない人生を歩みたい」と願い「今やりたいコトをやるのだ」と公言される御門徒がおられました。しかし、やりたいコトをやりたいだけする事が後悔しないことなのでしょうか。それは幻想ではないでしょうか。後年、その御門徒は「私の願いは、ずっと後悔のしっぱなしだ」としきりに述懐されていました。自分に正直であればあるほど後悔がつきまとうようです。もし誰か臨終前に「私は後悔していない」というなら、それは自分の人生に妥協しているのではないでしょうか。本当に悔いのない人生を望むなら後悔と共にある自分自身に正直に出遇させていただくしかないでしょうか。

真宗の寺院はいつわりのない自分との出遇いの場所です。自分の願いにまれ苦しんでいる自分自身に『御同行・御同朋』と出遇っていく場所であることを願わずにおれません。

(第13組  道徳寺  入江  賀彦)