「Q&A」『他力本願』の本来の意味は?
現代では「他力本願」は「自分の力で努力せず、もっぱら他人の力をあてにすること」と否定的な意味で使われることが多いですが、これは、言葉の使い方の「俗用」です。
俗用とは本来とは違う使われ方が広まり、そちらの意味の方が、一般的になった言葉の使われ方です。例えば現代では「こだわる」とは「匠のこだわりの逸品」のように良い意味での使われ方をすることが多いですが、本来「こだわる」とは、①心が何かにとらわれていて自由に考えることができなくなる、気にしなくてもいいようなことを気にする。②他人からの働きかけを拒む、難癖をつける。など悪い意味を持つ言葉です。
「他力本願」の本来の意味は、私たちが自らの力ではなく、他者の力、特に阿弥陀如来の力によって救われるという考え方です。
「他力」とは、曇鸞大師によれば、①私たちを浄土に生まれ変わらせてくれる力②浄土で修行させてくれる力③浄土からこの世に戻る還相の菩薩にさせてくれる力です。このいずれもが阿弥陀如来の「本願 (四十八願 )」の力によるものだということです。
特に親鸞聖人は自力での修行や勤行によっての救済は難しいと考え、私たちが煩悩や無知から解放される手段として、修行や特別な行為に頼らずとも、阿弥陀如来の願いによって救われ、人々が自力での修行や悟りを求める必要はないと教えました。
「他力というは如来の本願力なり」( 教行信証より)
(第13組 敎安寺 洲﨑 善樹)