1/22(土)てらこん2022inOSAKA 開催のお知らせ
イベント形式での「てらこん」が2年ぶりに開催されることとなりました。
対象は20〜50代の独身男女であればどなたでもご参加いただけます。
参加費はお一人様1000円となっており、
参加締め切りは2022年1月13日までとなっております。
参加をご希望される方はてらこんネットワーク事務局までお申し込みお願い致します。
皆様のご参加お待ちしております。
イベント形式での「てらこん」が2年ぶりに開催されることとなりました。
対象は20〜50代の独身男女であればどなたでもご参加いただけます。
参加費はお一人様1000円となっており、
参加締め切りは2022年1月13日までとなっております。
参加をご希望される方はてらこんネットワーク事務局までお申し込みお願い致します。
皆様のご参加お待ちしております。
天満別院では、「すす払い同朋の会」(年末大掃除)を下記の通り開催致します。
皆様お誘い合わせのうえ、ご参加ください。
記
日 時 12月24日(金)9時30分
場 所 天満別院本堂
服 装 汚れても構わない服
※持ち帰りの昼食をご用意しております。
答え
「帰命」とは、「正信偈」に「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい=無量寿如来に帰命し)」とあるように、
阿弥陀仏からの呼び声であります。
「帰」とは、したがうという
「命」とは、いのちと仰せという
すなわち帰命とは「いのちの言葉に出遇ってくれ」という呼び掛けであります。
以前、友人と居酒屋で呑んでおりますと隣の席で喧嘩が勃発しました。私は何のことやら分からず成り行きを見ていました。すると友人が「ちょっと待て!」と仲裁に入りました。
喧嘩は、お店にも迷惑がかかるだけでなく他のお客様にも迷惑がかかることを見越し、友人は止めたのでしょう。喧嘩は、お互いの些細な意見の食い違いから大きくなるのでしょう。喧嘩の当事者の一人は、その後私達と一緒に話すことになり、心を落ち着け成り行きを話してくれました。最後には喧嘩を止めてくれたことを感謝しておりました。声が届いたということなのでしょう。
生活の中で自分の思いで生きていると、自分の物差しを振り回し他を傷つけるだけでなく、自分をも傷つける。そんな私達に帰命「命に帰れ」と、はかる(量)物差しばかりではかりしれないもの(無量)を持っていない私達に、仏は「大丈夫か?どこに向かって生きているのか?」と、声を掛け続けてくださっている、それが「帰命」なのではないでしょうか。
(第12組 圓滿寺 杉本 潤)
天満別院では昭和38年8月の創刊より毎月機関紙「六字城」を発行しております。
先月末には、「六字城」685号(令和3年12月号)を皆様のお手元に届くようご郵送いたしました。
また天満別院ホームページにも公開しました。下記リンクからも閲覧いただけます。
皆さま是非ご覧ください。
天満別院では、11月24日(水)13時30分より本堂にて定例法話が開催されます。
御講師には、円照寺 桑田 和貴 師をお招きし、
「私を照らし出してくれるもの」を講題としてお話しいただきます。
皆様お誘い合わせのうえ、是非ご参拝くださいますようご案内申し上げます。
天満別院では昭和38年8月の創刊より毎月機関紙「六字城」を発行しております。
先日、「六字城」684号(令和3年11月号)を皆様のお手元に届くよう郵送致しました。
また天満別院ホームページにも公開しました。下記リンクからも閲覧いただけます。
皆さま是非ご覧ください。
天満別院では、10月3日(日)から5日(火)にかけて報恩講が厳修されました。
今年の報恩講は昨年に引き続き規模縮小ということも視野に入れておりましたが、政府の緊急事態宣言の解除の方針受けて、
対策には十分に配慮し、ほぼ例年並みに報恩講が厳修されました。
ご法話には3日間に渡り、九州教区 觀定寺住職 大江 憲成師に、
講題「コロナ禍の中、後生の一大事をあきらかにしよう」のもとにお話いただきました。
また9月28日(火)の報恩講お待ち受け奉仕の際には、ご門徒の皆様に各部屋のお掃除や仏具のおみがき、
のぼり旗、紫幕の設置等をお手伝いいただきました。
報恩講を終え、改めて皆様のお力添えに厚く御礼申し上げます。
本日より、天満別院報恩講が厳修されます。
御講師には、九州教区(大分県)中津組 觀定寺住職 大江 憲成師をお招きし、
「コロナ禍の中、後生の一大事をあきらかにしよう」の講題のもとお話いただきます。
皆さまお誘い合わせ上、ご参拝くださいますようご案内申しあげます。
尚、10月4日(月)結願逮夜(午後1時30分)、
10月5日(火)結願日中(午後1時30分)の様子はライブ配信を予定しておりますので、
是非ご覧ください。
答え
先祖代々大切に守られてこられたお墓を、「墓じまいしたい」と。大変な事態になってきました。そもそも、お墓やお仏壇は、亡き方々が命をかけて私達にまで本当に尊い「命」を届けてくださった「諸仏」としお偲びし、この私が命を精一杯生ききっているかを確認させて頂く『よりどころ』としてあるものではないかと思います。お亡くなりになられた方だけをお祀りしているだけではなく、亡くなっていかれた先人達の願いを聞かせていただき、やがて私達も浄土へ帰っていく存在であり、「今」を本当に生きているかと、問われている声なき声に耳を傾ける場ではないでしょうか。すなわち「迷わずに方向を見つけてくれ」という願いなのではないでしょうか。
例えば、お墓を処分し納骨堂や合同墓に改めて埋葬するという方法が御座います。大切にされてきたお墓ですので安易な気持ちで考えることは好ましいこととは思えません。しかし、お参りに行けない事情や、後のことをしっかり考えた上で執り行うのであれば、遷すことは決して悪いことではないと思います。
お参りに行けずに無縁墓になることほど残念なことはありません。ですから、今後最もお参りしやすい環境にすることで、そのためであれば、ある意味大切なことといえるでしょう。お仏壇を処分したとしても、ご縁のあるお寺でお参りをして頂くこともできるかと思います。
(第12組 圓滿寺 杉本 潤)