9月21日(日)秋季彼岸会勤修のお知らせ

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天満別院では、9月21日(日)13時30分より、

秋季彼岸会 並 総永代経法要 兼 墓地納骨(物故者)追弔法要を勤修いたします。

ご法話の御講師には、本通寺 北畠 顯諒 師をお招きし、

講題「踏み出せば状況は変わる」についてお話しいただきます。

尚、今年度のお彼岸入りは、20日(土)、明けが26日(金)となっております。

秋季彼岸会ご案内

天満別院 お盆行事のご案内

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天満別院では、8月12日(火)から8月16日(土)までのお盆期間中、

墓地の開門時間は、変わらず6時30分。

閉門時間は17時となっております。

 

お盆行事についてのご案内ですが、

8月12日(火)、13日(水)両日、同朋会館(講堂前)にて墓前申経を受け付けております。

尚、墓前申経の受付時間は、9時〜17時(最終受付は16時30分)までとなっております。

(14日、15日、16日は、墓地事務所へお声掛けください。)

8月12日(火)は、9時から天満別院永代合祀墓前にて合祀墓追弔会が勤まります。

8月13日(水)は、13時30分より本堂にて盂蘭盆会が勤修されます。

盂蘭盆会のご法話には、大阪教区 第6組 願光寺  茨田  通俊  師にお越しいただき、講題「亡き人から願われている私」についてお話いただきます。

皆さま是非お参りくださいますようご案内申し上げます。

盂蘭盆会ご案内

「Q&A」葬儀で使った白木の位牌が残っているけれど、どうしたらよいのでしょうか?

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答え

 お葬式の後、ご命日から数えて七日ごとに中陰のお勤めをし、四十九日目に満中陰の法事行います。白木の位牌は満中陰までの間、お内仏の横に設けた中陰壇に置きます。満中陰が終われば、中陰壇は片付け、白木の位牌は使いません。その代わりに法名軸か過去帳に法名を記すのが一般的です。また、真宗では白木の位牌に魂が宿っているとは考えません。この世のご縁が尽きると、お浄土に帰って行かれるのです。

 ところで、森絵都さんの「出会いなおし」という短編集に、「年を重ねるということは、同じ相手に何回も出会い直すことだ。会うたびに知らない顔を見せ、人は立体的になる」という言葉があります。家族にとっては、亡くなった方のことは家族が一番知っているようにも思えます。しかし、弔問された方から家族の知らない一面を教えていただくこともあるでしょう。また、反発して素直に言葉を受け取れなかったこともあったかもしれません。白木の位牌がおかれている間、お浄土に帰って行かれた方と「出会いなおし」をすることができれば、幸いなことではないでしょうか。

 白木の位牌がまだ残っているというご相談ですが、一度、お手次のお寺のご住職にご相談されてはいかがでしょうか。そのことがまた亡くなられた方を通してお念仏の教えと出会うご縁となるかもしれません。

(第15組   安通寺   楠本   史朗)

7月27日(日)、8月2日 (土) 暁天講座 開講のお知らせ

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天満別院では、7月27日(日)、8月2日(土)両日ともに午前6時から1階講堂に於いて暁天講座が開講されます。

6時から晨朝(おあさじ)が勤まり、その後のご法話となります。

御講師には、本願寺派 如来寺  釈 徹宗 師にお越しいただきます。

7月27日(日)の講題は『柔らかな心と堅い心』、

8月2日(土)の講題は『ことばと仏教』のもと、お話しをいただきます。

暁天講座は、夏の暑さを避け、早朝の澄んだ空気の中で親鸞聖人が顕かにされた本願念仏のみ教えをともに聴聞いただく公開講座です。

尚、講座終了後には軽食のご用意があります。(ご提供:太田石材店さま)

皆様お誘い合わせのうえ、ご参拝くださいますようご案内申し上げます。

暁天講座ご案内

「Q&A」法話で「世の中と私たちの心に真実はない」と聞きました。本当でしょうか?

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答え

仏教では「世の中」は「無常」と教えられます。例えば、整頓された部屋も時間が経てば散らかりますし、淹れたてのコーヒーも時間とともに香りを損ないます。熱烈な恋愛感情もやがては冷めてしまうでしょう。世の中に永久不変のものはない。これが無常ということです。誰もが経験上よく知っている。だけれども、どうしてもそこに永遠性を求めてしまう。美しいものや愛するものは、永遠にそうあって欲しいと願い、これこそ真実だとしがみつくことをやめることができません。

こうした「私たちの心」は、「無明」だと教えられます。明るさが無い。暗闇の中で手探りに何かを求め、そこに永遠性を求めます。大自然に感動し、音楽を愛で、人を慈しみ、友情を分かち合っては、この心こそが本物だと喜びます。しかし、その同じ心が、怒り、腹立ち、そねみ、妬みの感情をも生み出します。心そのものも無常であって、いっときもとどまることはありません。

私たちは、こうしたことを頭で理解しても、残念ながら本当にそれを心に落とし込むことができません。相変わらず、目の前のものにしがみつくことをやめることができません。私たちの心そのものが真実となることはないようです。しかし、無明の心を教えられるところに、その暗さを照らす光に思いを馳せるということが起こります。だからこそ、「世の中と私たちの心に真実はない」と教えられては、その都度そこに響く南無阿弥陀仏に手が合わさるのです。

(第7組   了願寺   安間   観志)