7月27日(火)定例法話 開催のお知らせ

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天満別院では、7月27日(火)13時30分より本堂にて定例法話が開催されます。

御講師には、泉勝寺 小松 裕子師をお招きし、
講題「ハンセン病 強制隔離政策に抗った医師」 ー小笠原 登の生き方に学ぶー

についてお話しいただく予定です。

皆様お誘い合わせのうえ、是非ご参拝くださいますようご案内申し上げます。

※尚、今月は諸事情により定例法話開催日が27日に変更となっています。

樹木葬でそのまま埋骨や海洋散骨などの広告を見ますが、どう思いますか? 

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答え

超高齢化社会の時代となり、終活と称して葬儀や供養のビジネス化・合理化が急速に進み、テレビやインターネットの広告でも頻繁に見かけるようになりました。遺骨を埋葬した上にシンボルとなる木を植え墓標とする「樹木葬」、遺骨を粉末にして海や山に撒く「散骨」、さらにはカプセルに入れて打ち上げ、宇宙空間に散骨する「宇宙葬」など、納骨も非常に多様化して来ていることが分かります。

これらは個性的で魅力的に見えるかもしれません。しかし一方で、そこには個人の趣向ばかりが追求され、宗教性が失われているように思われます。お墓は本人だけの問題ではなく、残された家族にも長く関わっていくことになります。流行に流されることなく、将来まで見据えた上でしっかりと考えていく必要があります。

近年は様々な理由からお墓の維持継承が難しくなってきたのも事実です。真宗のお寺でも合同墓や納骨堂も増えていますし、本山東本願寺の大谷祖廟(親鸞聖人墓所)にも合同墓がございますので、まずはお近くのお寺に相談しましょう。

お骨は私たちにとって道しるべです。私たちに先んじて諸行無常の厳しい人生を歩まれ、お浄土へと還られた先祖を通して、自らの生き方が問い直されていくことが何よりも大切です。

どのような形の納骨となっても、お参りする時、そこに先祖が偲ばれ仏法と出遇う場となることが何よりの供養となります。

(第6組  角善寺  梅田  弘則)

7月号「六字城」HP公開のお知らせ

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天満別院では昭和38年8月の創刊より毎月機関紙「六字城」を発行しております。

先月末には、「六字城」680号(令和3年7月号)を皆様のお手元に届くようご郵送いたしました。

また天満別院ホームページにも公開しました。下記リンクからも閲覧いただけます。

皆さま是非ご覧ください。

680号(令和3年7月号)

6月号「六字城」HP公開のお知らせ

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天満別院では昭和38年8月の創刊より毎月機関紙「六字城」を発行しております。

先月末には、「六字城」679号(令和3年6月号)を皆様のお手元に届くようご郵送いたしました。

また天満別院ホームページにも公開しました。下記リンクからも閲覧いただけます。

皆さま是非ご覧ください。

679号(令和3年6月号)

コロナが理由で、お骨に還った方でもお葬儀するのですか?   

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答え

新型コロナウィルスの感染拡大が収まらず、1年以経った現在も感染者数・死亡者数が増え続けています。新型コロナに感染して入院すると、家族とも面会出来ず、そのままお亡くなりになればほとんどの場合、ろくに対面や葬儀も出来ないまま火葬され、お骨となって帰ってくるのを待つしかありません。芸能人が亡くなった際の遺族のお話などを聞いていますと、本当に悔しさや無念さが伝わってきます。しかし先に火葬したからといって、葬儀が出来ない、葬儀をしないということはありません。そもそも「お骨葬」(お骨の状態で執り行う葬儀)というのは地方の習慣や、故人の亡くなり方によっても行われていますので、コロナで始まったものではありません。

亡き人は私たちに身業説法(自らの身をもって教え伝える)して下さっています。人はどのような人生を送ろうともいつか必ず命を終えていかねばならないし、いつ何どき、どのような形になるかもわかりません。まして今のコロナの世の中を誰が想像したでしょうか?本当に人の生き死にはわかりません。そのことを亡き人を通して教わるのです。そしてそのような厳しい人生をどう生きていいかわからず不安な私たちが、葬儀やその後の仏事で仏さまの教えと出遇って行くのです。

葬儀をしないと尊い機会を失うことになります。派手な葬儀をする必要はありません。お骨であってもしっかりと勤めてください。

(第6組  角善寺  梅田  弘則)

6月24日(木)夏の御文法要のご案内

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天満別院では、6月24日(木)13時30分より、

夏の御文法要を勤修致します。

ご法話の御講師には、

光照寺 墨林 浩 師 にお越しいただき、

「一念発起 平生業成の宗旨」についてお話しいただきます。

感染症対策には十分に配慮致します。

皆様のご参拝をお待ちしております。

夏の御文 ポスター

5月24日(月)定例法話の開催について

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天満別院では「緊急事態宣言」の延長を受け、予定しておりました5月の定例法話につきましては、下記のように対応致します。

 

 

◇ 5月24日(月)13時30分

定例法話 沼田 和隆 師

講題「如来の御ちかい」は、中止とさせていただきます。

 

引き続きご理解とご協力を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

5月号「六字城」HP公開のお知らせ

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天満別院では昭和38年8月の創刊より毎月機関紙「六字城」を発行しております。

先月末には、「六字城」678号(令和3年5月号)を皆様のお手元に届くようご郵送いたしました。

また天満別院ホームページにも公開しました。下記リンクからも閲覧いただけます。

皆さま是非ご覧ください。

678号(令和3年5月号)

Q&A 最近、僧侶を呼ばない葬儀や直葬が多いが、どうなんでしょうか? 

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答え

ここ近年で葬儀や中陰の形態が随分変わりました。そのうえ新型コロナウイルスの感染拡大でさらに簡略化、少人数で短時間、集まる回数を少なくするため儀式自体に変化が生じています。葬儀式中の初七日はもちろんのこと、満中陰という言葉まで飛び出している状態です。こんなことがまかり通ると、もう元に戻すことは不可能と言えます。とてもコロナだけの問題ではありません。
何のために葬儀を行い、なぜ僧侶を呼ぶのか、ということを改めて問い返さなくてはなりません。

 葬儀を行うということは、その人の生前の遺徳を忍び、ご苦労をねぎらうのと同時に、人として生まれたら必ず死ぬということを教わり、やがて自分もこうなるのだ、ということを悟る場であります。
今まで宗教に無縁のものであっても、身近な人の死ということを通して仏縁に出会う場であります。
例えば一度も手を合わせて合掌すらしたことのない人であっても、仏縁に出会うと、周りを見て知らず知らずのうちに、手を合わせて頭を下げているものです。
そして、僧侶が葬儀に必要なのは、単にお勤めをして、派手な装束を着て儀式を執行しているだけではなく、今後仏法聴聞の場を設けて、仏縁作りの手助けをするために僧侶が必要なのです。僧侶と関りを持たなかったら、いつどこで仏縁に出会うのですか。
事情もあることでしょうが、出来るだけ呼んでください。

(第13組 心願寺 松井 聰)