「Q&A」仏教讃歌とはどのようなものなのでしょうか?

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答え

 仏教讃歌とは、歌を通して仏さまの教えを知る仏教音楽のひとつです。仏教に関する素養のある作曲家、作詞家によって、明治から今日に至るまで、盛んに作られ、現在まで300曲以上の仏教讃歌があります。私自身も幼い頃からご法話の前に「真宗宗歌」終わりに「恩德讃」を門徒さんが楽しく、生き生きと歌っておられる姿が心に残っております。仏さまの歌、人生の歌、嬉しい時や悲しい時、その時々の気持ちで仏教讃歌に出遇い、歌っている時は、みんなの心がひとつになり、元気を貰えるような気が致します。
仏教讃歌の歌詞には、仏さまの教えが説かれていますので、教えを広く伝えるために、歌詞だけではなく、親しみやすい曲調で作られ、声に出して、読み、歌い、味わい、仏さまのお心に触れることのできる安らぎのひと時です。
たくさんの仏教讃歌の中でも特に皆様もご存知の「恩徳讃」は親鸞聖人が「正像末和讃」の中で書かれているお言葉に節をつけたものです。この曲は、真宗門徒にとっては、とても身近であり、自然と体の中に染みついております。阿弥陀如来に真向かい、背筋をのばし、合掌しながら歌っていると、心が落ち着き、教えに遇えた喜びを感じます。
今は、コロナ禍で歌うことがままならぬ状況が続いており、寂しい限りです。早く合唱団「みのり」で声を合わせる日が来るのを心待ちにしております。

(第13組 超願寺 村上 奈津子)

1月号「六字城」HP公開のお知らせ

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天満別院では昭和38年8月の創刊より毎月機関紙「六字城」を発行しております。

先月末には、「六字城」686号(令和4年1月号)を皆様のお手元に届くようご郵送いたしました。

また天満別院ホームページにも公開しました。下記リンクからも閲覧いただけます。

皆さま是非ご覧ください。

686号(令和4年1月号)

歳末昏時勤行・修正会のお知らせ(年末年始の墓地案内)

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天満別院では、12月31日(金)15時より歳末昏時勤行が勤まります。

今年最後の法要となります。

一年を振り返り、心新たに新年を迎えれるように一緒にお勤めしませんか。

また元旦〜3日までは8時より修正会が勤まります。

修正会とは、年の始めにあたり、仏さまの前へ出て、仏さまの教えに生きようと決意を新たに真宗門徒の自覚を確かにする為の法要です。

1日(土)法要終了後には御輪番からご法話がございます。

皆さまお誘い合わせの上、初参りに是非お参りくださいますようご案内致します。

尚、墓地は12月29日(水)〜3日(月)までの間、6時30分から17時まで開門しております。(色花、線香等は8時より販売)

併せて、ご案内申し上げます。

1/22(土)てらこん2022inOSAKA 開催のお知らせ

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イベント形式での「てらこん」が2年ぶりに開催されることとなりました。

対象は20〜50代の独身男女であればどなたでもご参加いただけます。

参加費はお一人様1000円となっており、

参加締め切りは2022年1月13日までとなっております。

参加をご希望される方はてらこんネットワーク事務局までお申し込みお願い致します。

皆様のご参加お待ちしております。

てらこん案内チラシ

 

12月24日(金)すす払い同朋の会(年末大掃除)のお知らせ

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天満別院では、「すす払い同朋の会」(年末大掃除)を下記の通り開催致します。

皆様お誘い合わせのうえ、ご参加ください。

 

               記

 

日 時 12月24日(金)9時30分

場 所 天満別院本堂

服 装 汚れても構わない服 

 ※持ち帰りの昼食をご用意しております。

「Q&A」 帰命ってなに?

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答え

「帰命」とは、「正信偈」に「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい=無量寿如来に帰命し)」とあるように、

阿弥陀仏からの呼び声であります。

 

「帰」とは、したがうという

「命」とは、いのちと仰せという

 

すなわち帰命とは「いのちの言葉に出遇ってくれ」という呼び掛けであります。

以前、友人と居酒屋で呑んでおりますと隣の席で喧嘩が勃発しました。私は何のことやら分からず成り行きを見ていました。すると友人が「ちょっと待て!」と仲裁に入りました。

喧嘩は、お店にも迷惑がかかるだけでなく他のお客様にも迷惑がかかることを見越し、友人は止めたのでしょう。喧嘩は、お互いの些細な意見の食い違いから大きくなるのでしょう。喧嘩の当事者の一人は、その後私達と一緒に話すことになり、心を落ち着け成り行きを話してくれました。最後には喧嘩を止めてくれたことを感謝しておりました。声が届いたということなのでしょう。

生活の中で自分の思いで生きていると、自分の物差しを振り回し他を傷つけるだけでなく、自分をも傷つける。そんな私達に帰命「命に帰れ」と、はかる(量)物差しばかりではかりしれないもの(無量)を持っていない私達に、仏は「大丈夫か?どこに向かって生きているのか?」と、声を掛け続けてくださっている、それが「帰命」なのではないでしょうか。

(第12組  圓滿寺  杉本  潤)